画集や図鑑の模写、テレビ番組のワンシーンを描くことが多く、最近では薔薇の絵を描くようになったという大竹さん。絵画のほかにも、キーボード演奏、テレビゲーム、
ワープロで字を打つことを組み合わせて一日を過ごしているという。幼少期の頃の話や個展を開くようになってからの経緯など、家族の目から見た大竹さんについて伺った。
大竹徹祐さんは絵画のほか、キーボード演奏、テレビゲーム、ワープロで字を打つこと、これらを組み合わせて一日を過ごしています。そのうち、キーボード演奏は音楽を聞いてその曲のメロディーをそのまま再現することが多いそうです。ピアノは習ったことがなく、昔から学校のピアニカなどを演奏してきました。その行動には、自分なりのパターンがあると思います、とご両親。
大竹さんは4歳のときに仙台市に引っ越して来ました。その後児童相談所に行ったときに、自閉症と診断されます。小さい頃から、絵を描くことは日常的に行っていた大竹さん。3歳のころ、醤油瓶に指をつっこんで雀の絵を描いたり、お母さんの化粧品を使って家の壁などに絵を描いたりしていたそうです。お父さんの同僚の制服の背中にドラえもんを描いたりしたことも。その頃から美的感覚があったと思います、とお母さんは振り返ります。「家の中の描けるところすべてに描いていたから、消すのが大変でした」。
仙台市立鶴谷養護学校(現、仙台市立鶴谷特別支援学校)に入学し、中学部から高等部までの6年間、油絵画家の方がこの子は面白い要素を持っているからといって、絵を教えてくれたそうです。卒業後は主に自宅で過ごしています。約20年前に現在の亘理町に住み始め、10年ほど前に角田市の福祉施設に通っていたこともありますが、送迎の都合など、利用時間があわないため、辞めることとなりました。施設に通っていたときも絵を描いていましたが、その頃に描いたものは施設に管理を一任しているそうです。
大竹さんはこれまでに個展を何回も行ってきました。最初に行った個展は、仙台市の五橋にある来夢(こむ)でのもの。それから、27歳のときに地元の画家に応援され、二人展というかたちで、亘理町の公共施設である悠里館の二階を会場に展示を行いました。新聞にもラジオにも報道されたそうです。「個展をやりましょうと声をかけられればうれしいですね。一緒にやりましょうという人がいれば、会場にあわせて実施してきました」とお母さんは言います。
制作する絵画については、使用する画材などにはこだわらず、ガムの紙や新聞広告など、家の中にあるもので制作をしていたそうです。大竹さん本人が画材を選ぶわけではなく、タイトルは作品中に描かれてある文字からつけることもありますし、お母さんが決めたこともあるそうで、大竹さんがタイトルをつけているわけではないと言います。
以前は移動中の風景を描くことが多かったそうですが、いまは画集や図鑑の模写、それからテレビ番組のシーンを描くことがメインとなっています。最近は薔薇の絵もよく描くそう。また、食べたいものや、その他自分の必要なものがあったら、その絵を描くこともあるといいます。描いてほしいものがあったときにお願いをすると、大竹さんの気が乗っているときは描いてくれるそうです。
これまでに絵の販売はしたことがなく、欲しいといってきた人には寄贈してきました。完成した絵には落款を押していたときもありましたが、その落款がすり減ってしまったので、現在は使用していないそうです。お母さんは、「写実的で綺麗なものが絵だと思っていたので、数字の絵などが評判になるとは思いませんでした」と語りました。
(文:高橋創一)