インタビューには主に作家の母が応えたが、ときおり母の問いかけに対し、作家本人が関連する場所や日時、出来事、人物名の固有名詞などで応答。絵を書き始めた当時のことから、国内外の展示会を巡回し、作家の代表的な作風となった映画看板のシリーズに関することなど作品にまつわるエピソードをきく。
作品をめぐって芸術活動に関心のあるさまざまな団体や専門家にとっての価値を垣間みることができた。
木伏大助さんは、現在、大和町にある福祉施設いこいの家たんぽぽに通っています。インタビューで訪問した日は、少し早く帰宅し、訪問者を迎えてくれました。インタビューには主に母が応え、ときおり母の問いかけに対し、関連する場所や日時や出来事や人物名を、おもに固有名詞で伝えてくれました。
木伏さんは、現在でいう特別支援学校がない時代に、普通学校に通学していました。学校の教員が昼休みに彼に好きなことをさせていて、そこで生まれた作品を展示したことをきっかけに、どんどんと絵を描き始めたといいます。「今思えば、父親の転勤であちこちを転々としたことは、それぞれの先生がいいところを引きだしてくれたと思います。手をかけてもらえると彼もなつく、そうした意味で恵まれていたなあと思うのです」と母。お酒の銘柄、とくに商標が好きで、よく地方にある田んぼのなかの大型看板を記憶に刻み、ときには近くの酒屋の空き瓶をもってきてはその商標を描いたそうです。「極端にいえば、人にはあまり関心がなくて、例えば病院に行っても薬が並んでいるのを眺めるのが好きな子どもでした」。
木伏さんの作品の中で映画の看板の作品は、国内外の展示会を巡回しよく知られたものです。これは小学校の近くにあった映画館の外観をよく眺めたことによるものだそうです。映画の内容というよりも、映画を宣伝するその看板を描いています。「ト書きなどがときどき誤っているから、彼は文字を文字として認識しているのではなく、カタチとして認識しているのですね」と学校の先生が語っていたエピソードを教えてくれました。
また、これらの作品は2005年「ブリコラージュ・アート・ナウ」(国立民族博物館)、2007年「アートみやぎ2007」(宮城県美術館)で展示され、2010年ごろに日本財団へ作品を寄贈し、2012年「ヨーロッパ巡回展」(オランダ)、2013年同(イギリス)などを巡回したそうです。「国内外に作品が出展されていますが、このことによる本人の変化はありますか」と質問すると、「本人はあまりないですねぇ。家族はそれをきっかけに、東京にもパリにも行きましたけれど」と笑顔で応えてくれました。
現在は、以前よりは制作へのエネルギーはなくなり、あまり絵を描いていないそうです。代表作品は日本財団に寄贈し、それ以外は自宅に保管しています。最近の障害のある人たちの芸術活動の高まりのもと、作品の出展や問い合わせが再び増えていると言います。作品の準備、貸出などの作業はなかなか煩雑なため、将来的にはどこかしかるべき団体や組織が支援してくれることが望ましいと考えているそうです。そのため、木伏さんの住む同じ大和町内にある芸術活動を行う福祉事業所に預ける予定だといいます。
そのほか、お茶を飲みながら、幼少時代に過ごした新潟に家族旅行した際、木伏さんが柱に刻んだ文字を発見した話、SOUPが実施した2016年の「やまのもとのアート展」に関連し、「地元山元町の居酒屋さんで、作品をポスター仕立てにしたものが飾られ、たくさんの人が喜んでくれたとお店の方に言っていただいたことがうれしかった」という話題にもふれました。また、愛嬌のあるネズミのキャラクターが描かれた絵皿をもってきて「これ、大助が福祉施設たんぽぽで作業中に描いたものなんだけど、バザーで大助自身が気に入って買ってきたんですよ」と笑いながらおしえてくれました。
これらのインタビューと会話から、木伏大助さんの作品をめぐり、本人にとっての価値、家族にとっての価値、福祉施設にとっての価値、芸術活動に関心のあるさまざまな団体や専門家にとっての価値など、それぞれの立ち位置を垣間みることができました。
(文:柴崎由美子)